中世に板碑として盛んに使用された「緑泥片岩」は長瀞の上流20km地点に産地を見ますが その前から交易され 種々な石器に用いられていました。
上ノ原遺跡から15日 採取された打製石斧です 主に土掘り用に用いられたようです。
こちらは少し小型になります。
用途は不明です。
そのほか
石材は不明ですが この辺の物ではありません。石皿ですが木の実などを擂るのに用いたようです。こんな多孔質なのに不便は無いのでしょうか? と伺ってみたい。
石材名も用途も調査中ですが このあたりの石材では有りません。
その他 15日「上ノ原遺跡」出土の物を。
チャートの敲き石か
三万年前から徐々に始まった「交易」は 様々な品物がなされたようです。「石材」にしても 黒曜石(原石 製品 長野県和田峠 星糞峠 神津島など) 翡翠(多くは製品として 新潟県) 瑪瑙(原石 製品 茨城県常陸太田など)があります。 緑泥片岩も長瀞から来ていたのでしょう。
チャート 頁岩(けつがん) 安山岩 砂岩 などは付近に有った石材かもしれません。
二年ほどの生齧りで申し訳ございませんが私見を申させて頂ければ 石器の製作には専業者(?)が存在していたと考えます。 つまり縄文時代の集落の中に黒曜石やチャートの細かい剥片が集中する現象が部分的に見られるようです。分布調査の段階でこのような現象が見られます。
0 件のコメント:
コメントを投稿