2011年1月12日水曜日

せ~んせぃ~~!!

織戸市郎 先生

ここに 一冊の歴史調査報告書がある。第6集 平成2年3月20日発行。

「日高町の板碑」


日高市がまだ「町」だった頃の200ページに亘る力作だ。
この報告書に目を通すと 程無くある人物が深く関わっている事を知る。

織戸市郎 先生

隣の飯能市にお住まいで この市の中学校の先生らしい。
しかし事務局の「編集後記」を読むまでも無く 徹底した調査態度には頭が下がります。編集後記に
「調査にあたられた織戸先生の御苦労は筆舌に尽くせません。真夏の酷暑の中、また木枯らしの吹きすさぶ極寒の季節にも愛用の自転車で町内を全域にわたって調査していただきました。必要なら何度でも同じ板碑に通われ、緻密な調査をされるお姿には心から頭の下がる思いでした。云々」

実に克明な「調査」をされ 板碑のなんたるかを直ぐに理解できる。理解しやすい文体でありながら 高度な専門知識に触れられる。なんとも素晴らしい仕事ぶりなのです。
この度の多度残土から出土した板碑の基の施行場所を特定するのに どれだけ助けられたか知れない。先ず織戸先生にお逢いしたくて 市の教育委員会を訪ねてみました。

応対に出てくれた係りの方は 残念そうに顔を曇らせました。

「大分前に お・な・く・な・り・に・な・ら・れ・ま・し・た・・・・」

「町史(市史)」の中世編も担当されたそうですが それらさえも刊行されるまえに 病気で亡くなったのだそうです。

織戸先生    無念でしたでしょうね?

ご遺族をお尋ねし 墓参をしたいと存じます。

市内で最大の板碑
四本木にあります。先生の解説を確認したくて訪ねた帰り道で 残土に置き去りになっている板碑を発見しました。お呼びになられたのでしょうか?


先生の真摯な態度が伝わるご挨拶。


克明な専門用語の表記


難解な「梵字」も一目瞭然。


推移をグラフ化して理解度を高めている。


モノローグは中学生との対話の場面から。
この調査は市内の中学生が大いに関わった。


そしてさりげなく歴史に入る。




主な板碑の解説に


全ての板碑のリストとメモ


年代順に全てのPHOTOや拓本や先生の手になるスケッチまで


MAPに全てをプロット。

完璧です。

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