2011年1月18日火曜日

桜田常久

さくらだ つねひさ
皆様はこの方のお名前をご存知でしょうか?
芥川賞の受賞者が昨日17日に発表されましたが その芥川賞第12回受賞者です。昭和15年後期です。この年の前期の芥川賞にちょっとした事件が起きました。桜田の親友 高木卓が受賞を辞退したのです。これがデマや中傷を生みました。
桜田は故あって44歳まで何も書かなかったのです。昭和13年明大の教員になり かっての同僚三人と「作家精神」同人になりました。そして最初の作品「薤露(かいろ)の章」を書き上げました。
(桜田は内心この作品に自信が有ったのかも知れません。芥川賞受賞作品がこれなかったことに不本意であったらしいのです)
高木は「歌と門の盾」に対する受賞を辞退する事で 「薤露の章」に芥川賞が与えられるだろうと誤認したことによるものだったのです。これが真相だったらしいのです。
(詳細は「芥川賞受賞者全集」の桜田常久の「感想」を参照してください。ついでといってはなんですけれど受賞作「平賀源内」もどうぞご鑑賞ください。)


桜田常久の企画展が移り住んだ町田市の「町田市民文学館ことばらんど」で1月22日(土)から3月27日(日)間での期間で開催されます。多くの方々にご覧頂きたい展示です。


桜田常久との出会いは北斎を通じてでした。もちろん生前では有りませんので著書を通じてではございますが。 葛飾北斎の生涯を著わした「画狂人北斎」という本がございます。


この本は共産党機関紙「赤旗」日曜版の連載されたものを本の街 神保町(二丁目)にあった東邦出版社から単行本として出版されました。当初{上・中・下」の表示が無く 1971年に出版 続いて二刷りではなく ’73 ’76 と出版 北斎52歳までが描かれております。そして’77に北斎 70歳ごろまでを描いた「中巻」を出版して終了しました。晩年の「下巻」が発行されませんでした。作者は亡くなり 出版社は併合されて糸は切れました。「中巻」も発行部数が極少のせいか 古書市場には待ったく出てきません。都内の公共図書館にに9冊程度あるという有様なのです。
この本の凄いところは読み物として面白いのは勿論 美術史の史料としても優れているところです。桜田はテーマに対する資料の収集 検証に相当の労力を惜しまなかった事が窺がえます。北斎は世界的に見ても屈指の美術家ですが生涯の関する資料が極端に少ないのです。1849年に亡くなっていますから 僅か162年前です。それは江戸期の身分制度や 当時の絵師は単なる町の職人です。有名人でしたが伝記が纏められたのは明治時代で1893年でした。著者は飯島虚心 本名は半十郎 徳川幕府の旗本でした。いささか公平なジャーナリズムに欠け幕府に不都合な事項には触れていません。北斎は反体制側にスタンスを持ち 鎖国政策を愚直と嘲笑いキリシタン弾圧をものともしない達観した姿勢をとりました。幕府にマークされる人物と親密に交遊しています。しかし北斎はいちどたりともお咎めを受けない“うまさ”がありました。
しかし「北斎」といえば この飯島虚心の「葛飾北斎伝」しかありませんでしたので 後の書物はこれの参照に終始しています。北斎の最大の悲劇かもしれません。
桜田常久の「画狂人北斎」はこれに囚われず新しい視点を持つ伝記であり読み物として価値がありましょう。 

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