織戸市郎さん
昨日訪れた飯能市郷土館でもやはり中世史には織戸さんが話題に上る。
学芸員さんのお話では飯能市中山のお住まいだったとか。息子さんの代になり東京に移住したようです。織戸市郎さんは新電元工業株式会社に勤務の傍ら郷土の中世史を研究しておられたのだそうです。飯能市の板碑調査も殆どお世話になったと言います。入間市もそうかも知れないとの事でした。
文体や調査態度などから「先生」と考える事も間違いではないかもしれないと学芸員さんに慰めめいた事を言われてもねえ。
新電元工業といえば 恒月師(俳句の師匠)も高岡窯の重要関係者 丘登(おかのぼり)本家当主もかって勤務された会社です。もしかしたら情報を持っておられるかもしれません。
それに新電元工業株式会社の本社は新大手町ビルにございます。このビルは私が23歳のとき チーフデザイナーとしてトレードされた会社もここにありました。日産自動車や丸紅も同じビルだったのですよ。当時は最先端のトレンドビルで 現在の「なんとかヒルズ」のようなビルでした。
人と人の“糸”は確実に存在しますね。
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