2011年4月23日土曜日

女影三十六軒
佐島本家当主と親しくして頂けた。当主のお話になるところでは

女影は三十六軒の集落で一部移転した家もあるが 現存している。
佐島 村田 松本 吉田 加藤 中善寺 鈴木 小島 福島 森 等々。
若宮遺跡がその範囲だ。若宮という地名は南西のほんの一部の小字名です。
高萩三十三間堂は小島家(時計台隣)の畑から佐島本家の畑にかけて建っていた。京都に今も残るように千手観音像が千一体が納められていた。鎌倉幕府の末期 新田義貞率いる幕府軍が敗走する際に これに火を放ったために焼け落ちた。今も地下60cmに焼灰が残り 礎石も一部ある。
八葉複弁蓮華文軒丸瓦のPHOTOをお見せし説明をしたところ それらしい瓦を見たことがあると仰った。

集落には高句麗渡来人の影は薄く 高麗神社との繋がりも希薄のようだ。女影寺の伽藍を構成する各建造物は80年位でほぼ失い 三十三間堂と薬師堂が残り 跡地に寺院の関係者が残り 高麗家本体は西に移動して行ったのではないだろうか。三十三間堂は南東方向に振れている。伽藍は七堂以上で構成されるのが常であれば 金堂など重要建造物の立ち位置は現在調査している位置が西端である。

0 件のコメント:

コメントを投稿