2011年5月3日火曜日

一月三日よりまる四ヶ月かかって板碑を市の教育委員会文化財資料室に正式に引き渡せた。川越市内からの残土山中から発掘した総数50点を越える規模でした。搭載した市の車が角を曲がり 見えなくなるまで友人の鈴木氏と見送った。このプロジェクトを通じ多くの方々のご協力を頂戴しひとつの難所を越えた。微妙に企業の利害が絡みグレーゾーンをグレーゾーンとさせない工夫に意を注いだ。そのための時間は十分費やした。関係各位に感謝いたします。教育委員会の分析調査を補助いたします。正式な調査報告書を練り上げ 好意に応えたいと存じます。


先ず織戸市朗さんにご報告を。氏の鎮守神社である加治神社を詣でました。
広い芝生のエリアがあるんです。

そして墓所へ。 智観寺の住職にもお会いしなければなりません。


長い参道のつつじは間も無く見ごろになりましょう。
本堂で経を奉じ住職にご報告。PHOTOは撮らせていただけませんでした。織戸さんの墓所へ同行。
中山家の墓所の凄さを改めて知りました。
初代中山定吉は徳川幕府家老職をつとめました。中山家の墓所だけで サッカーができそうだ。

出土板碑 有効遺物30体 総計50片 ダンボール6箱 調査書1通  他に若宮遺跡小島家出土遺物60片ダンボール1箱。

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