2011年7月31日日曜日

聖観音に脇持

教育委員会の案件で的場までゆく。
西図書館で用件を済ませ
美味しいパンやさんの誘惑も抗し難いものがあるが 雨模様で諦めよう。
自転車安全コースを開拓したので(自動車にも良いが)あまり苦にならなくなった。
下高萩公民館に中々な石碑を見つける。
小雨に負けず拝見することに。お地蔵様などの祠の奥にレリーフのある石碑。
以前市史で見た覚えがある たしか華厳宗系の供養等の筈。
主尊は左手に蓮華蕾をお持ちだから「聖観音」ですね。下部のお二人は誰?
「観音菩薩」は三尊を執らない。市史には明確にはしていなかった筈。
だれ?
側面に「奉読誦不門品供養塔(ほう どく じゅ ふ もん ぼん くようとう)」とあるから 村人有志の何人かで「法華経第25品」 世に「観音経」と言われているお経を規定回数納め 近在の方々も含めて救われるよう供養塔を建立したのです。

文化五戊辰年三月吉禅日
武州高麗郡下高萩邑(むら)とあります。1808年ですから約200年前でした。




北斎49歳 読本の挿絵の時代 この年 馬琴の「椿本弓張月後編」が話題となった。
柳亭種彦との交流も盛んであった。 

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