2011年7月9日土曜日

2011年の半分を費やした残土山の板碑の正式調査報告書を昨日受理した。略式ながら公文書である。
 発行元や責任者 担当者などの記述が無くても良いのだろうか?博物館長(川越市立)殿にお持ちする分を預かっている。
 拓本にするとはっきり刻文字が読めるようになるんですね。

 問題はこの「貞和」年間の板碑です。打ち合わせたしメモも入れたのに 肝心の「貞和戊子」の確認が出来ていません。調査票には「貞和年間 1345~1349」とありきたり。1月3日のこのBLOGにも記しましたが 明らかに「貞和四年」1348年です。調査員の見落としと思われ連絡を入れたら2週間以上の時間を必要とするらしい。連休もあるしなぁと諦めるしかない。
「貞和」に下部 割れたところ中央に「戊」の頭部が残っています。確認してください。
板碑は中世の供養塔です。その史料は非常に少ない。まして民間史料などはなお更です。板碑はその数少ない貴重な史料なのです。重要なメッセージをきちんと受け止めるべきでしょう。

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