2011年5月30日月曜日

色彩の考古学に名著がある。
「古代の朱」  松田壽男著
未だ踏み込まない分野だが美術史と考古学との接点である。
また石器や土器 壁画などにメッセージや芸術を見出し 追求してゆくのも
人類の精神分野での 両学問の新しい接点となった。

人類は最初「黒」と「白」とを認識したといわれる。「黒」は黒曜石 「白」は頁岩の一種である。「赤」は三番目の色である。材質からいえば「赤」というよりは むしろ「紅」「茜」「朱」であろう。「辰砂(しんしゃ)」「ベンガラ(弁柄 紅殻 紅柄)」「鉛丹」などである。

若宮遺跡の分布調査は中ほどに差し掛かった。
主眼は「女影廃寺」の創建瓦 取り分け八葉複弁・・・であるが 布目瓦の詳細な分析も重要なのだ。
還元焔焼成の程度 材質 成形技術 厚み 等々。
生産技術は急速に進展した時代背景がある。成形技術では「敲き締め用具」の進歩があり 年代の同定に重要と考えている。厚みは建造物の規模を決定する情報として史料化したい。

そして 出土布目瓦のうち 「ベンガラ」と思われる塗料の付着した遺物があった。
もう一点 これも若宮遺跡の南西部M氏の畑から出土した。

同じ塗料である。おそらくベンガラであろう。瓦の厚みはいずれも24mm(唐尺7分)で敲き締めは「縄目」であり焼成良好な布目である。庁堂建築で重層(二重)の建造物 間口5~6間の廚かも知れない。三十三間堂といわれる建造物の南側に存在したかもしれない。C14分析測定で瓦と塗料との年代の差異が出る可能性が強い。おそらく建物の改築塗り替え時の作業でこぼれたのではないだろうか。

次の二点は朱色を出荷時に染めたようだ。

前の二点の100m北の地点で出土しました。この地点は金堂(本堂) またはこれに準ずる建造物が想定される地点です。唐尺で8分以上の瓦も出ています。これは殿堂クラスと目されます。
多重の塔かもしれません。

分析が進むにつれて「女影寺」の物語が拡がってゆきましょう。

2011年5月19日木曜日

女影太郎の館跡らしい。
外周に土塁らしい形骸が残る。
末裔と仰るN家から西に真直ぐに延びる途がある。
左は後世に出来た新しい道路で 真直ぐ森に向かう。
民家の北側を進み森に入る。
森を抜けると
長松寺の門を潜り 本堂の正面に達する。この途は何のためにあるのだろうか?
寺院は南に向かって造営されるのが殆どだ。東向きの寺院も無い訳ではないが 或る館に真直ぐな途を持つのは珍しい。何か深い経緯が存在するのかもしれません。

2011年5月11日水曜日

地主の権利

文化遺産は誰のもの。
9日に採取した「分銅型打製石斧」です。安山岩製 L=100mmでほぼ一般的なもので 縄文時代の中期頃の集落からは必ず数個は出土するタイプです。これは旧家の新宅で50代の旦那様が幼少の頃 本家の畑で拾ったものです。これだけの整った石斧を初めて手にすれば 誰でもそれは素晴らしいエポックであろうと思います。この方も並々ならぬ「想い」を籠めていたのです。
しかし私が採取したのは庭の梅ノ木の根元にごろんとしていたものでした。採取の了解を得るのに難儀をしました。少なくとも地主さんですから 快い了解を得たいのは常々の心構えです。しかし 中途半端な了解でしたので 諦めた方が良かったのかもしれません。 しかし洗浄や分析をするまでもなく この石斧は片面に磨き痕が存在し 刃の調整を度々重ねた長期に亘った貴重な一品です。怯めば科学の俎板にいつ上るかわかりません いや永遠に上ることはないかも知れません。

そもそも文化遺産は誰のものでしょうか。

「全ての人類のものです」 全宇宙のものと言い換えた方が良いかもしれません。行政の「智の循環」が不足しているので “意識”に問題があるのです。

2011年5月10日火曜日

「絵本のワールドカップ」が5月31日まで日高市立図書館にて開催されています。お近くの方はどうぞご覧ください。
ご存知「ピーターラビット」も全巻お揃い。
「ムーミン」は外せない。
天空高い秋の月?
ポストがある。ここに好きな絵本を投票する。用紙まで特製だ。
一部は借りることも可能です。
展示図書リストは各国別に15ページにわたる。
これが投票用紙。
POPも小道具の縫いぐるみなどを使い子気味よい雰囲気をかもし出している。
せいじさん(館長)いきいきしてますねぇ~。

2011年5月3日火曜日

一月三日よりまる四ヶ月かかって板碑を市の教育委員会文化財資料室に正式に引き渡せた。川越市内からの残土山中から発掘した総数50点を越える規模でした。搭載した市の車が角を曲がり 見えなくなるまで友人の鈴木氏と見送った。このプロジェクトを通じ多くの方々のご協力を頂戴しひとつの難所を越えた。微妙に企業の利害が絡みグレーゾーンをグレーゾーンとさせない工夫に意を注いだ。そのための時間は十分費やした。関係各位に感謝いたします。教育委員会の分析調査を補助いたします。正式な調査報告書を練り上げ 好意に応えたいと存じます。


先ず織戸市朗さんにご報告を。氏の鎮守神社である加治神社を詣でました。
広い芝生のエリアがあるんです。

そして墓所へ。 智観寺の住職にもお会いしなければなりません。


長い参道のつつじは間も無く見ごろになりましょう。
本堂で経を奉じ住職にご報告。PHOTOは撮らせていただけませんでした。織戸さんの墓所へ同行。
中山家の墓所の凄さを改めて知りました。
初代中山定吉は徳川幕府家老職をつとめました。中山家の墓所だけで サッカーができそうだ。

出土板碑 有効遺物30体 総計50片 ダンボール6箱 調査書1通  他に若宮遺跡小島家出土遺物60片ダンボール1箱。