朱・・・続編
朱 紅 茜 等から茶にまたがる色を「あか」と認識していたと推察しています。現在では縄文時代には確実に史料が残っています。土器や土偶 アクセサリー類 それに保存の良い木製品にそれが確認されます。主に酸化鉄などの べんがら 植物では「紅花」(後期には栽培していた) そして「辰砂(しんしゃ)」 。 「辰砂」は鉱石で日本でも採取できました。
この「辰砂」から赤色物質を採取することに止まらず もっと重要な“水銀”を精製することができます。この“水銀”は後年 大きな問題を人類にあたえることになります。
水銀は高温になると「金」を融解します。それを金属に塗布し熱すると水銀は蒸発し 塗布した部分に「金」の薄い膜が残り金属に密着します。つまり「金メッキ」の手法です。
東大寺 大仏はこの手法で「金メッキ」されました。馬頭(栃木県那珂川町)で金が産出し聖武天皇に献上され これを用いました。大仏は巨大で大量の水銀を用いたために 平城京では公害が起こり人々が罹災し大きな社会問題に発展したはずです。
聖武天皇が崩御され光明皇后は遺品などの宝物を東大寺に寄進しました。それが正倉院に残りましたがそのなかに多量の「薬物」があります。内訳に水銀過に対処した薬物が含まれていることでしょう。
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